アーティスティックなアルバイト

私はサラリーマンとしてわりに恵まれていたほうで、三十代の後半で本社の局長になり、四十のときに関西支社長になった。 仲間でいちばん早く走っていて、それから上の方のゴタゴタに巻き込まれてひっくり返ってしまったのである。
それで名古屋へ左遷されたが、そのときの二年間の体験が、いまだに自分の記憶のなかに生きている。 結局、左遷とか、子会社出向とか、傍流にとばされるとか、単身赴任とか、思わぬ配転とか、サラリーマンにいろいろピンチはっきものだが、要するにそのときに何をやるか、これが勝負だということであろう。
たしかにこれはつらい。 だれにとってもうれしい話ではない。
サラリーマンをあまり知らない無責任な評論家がそういうときこそ、人間居直ってみるものだとか、動ずるなかれとか、いろいろきいた風なことをいっているが、そういうものではないと思う。 つらいときは、まず凡人ならたいていおたおたしてしまう。
が、おたおたしていてもいいと思う。 それはあくまで人の性格によりけりである。
たとえばグチっぽい人がいるとしよう。 グチっぽい人はグダグダとぼやきながらゆっくり時聞をかけて、ストレスを解消していく。
ネアカの人はネアカで素早く頭を切りかえてストレスを解消していく。 グチっぽい人に対して、あるいはぼやきが好きな社員に対して、ぼやくな、男らしくないというのは、そもそも間違いであろう。
ぼやいてもいいではないか。 本人は、ぼやくことによってストレスを解消していくのだから、ぼやきでストレス解消を図るタイプの社員に、ぼやきを罪悪視させたら、本人は、よけいにストレスはたまってノイローゼになる。

こういうところに対しては、むしろ自然体であったほうがいい。 逆境の中では、むしろ自分の感情の流れをあんまり無理にコントロールしようと考えないほうがいい。
ただいえることは、「えらいことになってしまった」とか「自分を飛ばした相手が悪い」とかいろいろ考えながらも、ともかく、ここが自分の勝負どころだという覚悟のようなものを、どこかで持っていることである。 私の場合でも、簡単におたおたして、三カ月聞は詰然たる状態まで入っていった。
特に私の場合は、あと一歩で重役というところだったから、それだけの気負いがあった。 それと人生の後半期だったからでもあろう。
二十代、三十代に飛ばされたり、一発、二発張られたぐらいなら、そんなに痛いとは思わないだろうが、先のそろそろ見えてきたサラリーマン人生の後半のところでそれをやられると、これはやはり痛い。 こたえてくる。
そういうわけで世々たる日々を三カ月ぐらい送っていた。 左遷の時しか勉強できないただ、防戦一方に追われながら、一生懸命に考えたのは、左遷などというのは、人生の大マイナスである、自分のピンチであるが、どうせならこのピンチ、マイナスをプラスにもっていくのはどうすればいいかということだった。
私の場合は、特にトップ交替の余波のようなもので飛ばされているから、もうかつてのように社内で高声をあけることができない。 しばらくおとなしくしていろということである。
仕事のやりすぎで飛ばされた面もあった。 そうすると逆にいえば、暇はいくらでもある。

仕事しようが仕事しまいが、しばらくは自分の評価は変わらない。 当分最悪の、最低の評価点がつづくことは間違いあるまい。
ともかく口にチャックの用心を心掛け、仕事の分というものを心得て、あとの暇な時聞を本でも読んでおればいい。 それが最も利口な処世法というものである。
それによって、大過なく左遷時代を送れる。 左遷をうまくのり切るコツは、やはり死んだふりをしながら明日にそなえることである。
サラリーマンというのは特に管理職以上になったら、勉強するといっても、めったに勉強するだけの時聞はない。 また実際、忙しすぎてその気にもなれない。
せいぜいベストセラーか、自分の仕事に関係する本しか読めないのがふつうである。 だからこういうチャンスは二度とあるまいと思って、学生時代に読み残した本を家から送らせてゆっくり読んでいた。
それがレーニンの全集であったり、勝海舟、小林秀雄であったり、丸山真男であったり、日本の古典文学であった。 それによって、やはり学ぶものが多かった。
これらが自分の生涯の勉強になったのである。 人生の後半期に古典を読んだり、学生時代に読み残した本を読むというのは、非常に役立つ。
たとえばアランの本などは二十代、三十代で読んでもわからない。 四十代、五十代になってきて、だんだん見えてくるものがある。
それが古典の味というものである。 『徒然草』にしても、吉田兼好という人はいかに人生の達人であったかが、しみじみとわかってくる。
兼好は中世というものを醒めきった目で見ている。 『徒然草』を中学生や、高校生に読ませてしまうから、だれも二度と読もうとしない。

青少年が、読んでおもしろい本ではない。 わが国の教育の欠陥はそういうところにもあることがわかってくる。
レーニンについても同じようなことがわかってくる。 レーニンといえば、やはり二十世紀を動かした最大の天才的な革命家であり、思想家であろう。
私は、レーニンのもっていた柔軟な思考法やドイツ参謀本部の考え方なども、企業戦略、人材論を考える上に非常に参考にしている。 この二年間ほど、私自身まともに勉強した時期はなかったと思う。
それが独立したいま、大いに役立っている。 いまは物書きとマーケティング・コンサルタントのような、ちょっとデッチ上げくさい商売を兼業しているが、意外に読書をしていない。
かつての支社長時代と同じように、あるいはそれ以上に忙しくて、あまり暇がない。 いまたとえば新聞や月刊誌の連載を何本か抱えてアップアップしているので、正直なところ、ちょっとさもしい本の読み方をしている。
何か引用できる文句はないかとか、気のきいたセリフはないかとか、そういう風なセコイ読み方をしている。 それでも、何とか化けの皮がはがれない程度のものが書けるのは、二年間の古典、歴史もの、思想家の本などをいろいろと丹念に読みなおしたというべースがあるからであり、多少とも安心しているのである。

社内の眼と社外人脈また、左遷されたり子会社へ出向させられたりすると、淋しいものだからついつい社内に向けてぼやきたがる。 何かと口実をもうけて人にすり寄っていこうとする。
子会社に出向して一年も二年もなっている社員が、親会社の手帳をまだもって威張ったりしてマスターベーションやっているケースもよくある。 これはやはりよくない。
淋しくてすり寄るものだから、もうあの人はだめだとみんなが見下す。 そしてよけい自分の立場を惨めにしていく。
それがわかっているから、私は、しばらくは社内の人間に仕事以外では近寄らないことにした。 そのかわり、その時期に昔の仲間に会ったり、外部の人脈をいっぱい広げていった。
それがいまになって大きく活きているのである。 左遷のときの自分の体験から、ひょいと気がついたのは、いまの管理職クラスでも、研修を本当にやるのだったら、部長、課長を三カ月ぐらい休ませて、むしろ自己研修させたほうが効果的だということである。
よく研修などでも一週間とか四日間ほどちょこちょこ集めて勉強させるが、そういうつけ足しの勉強では、けっして本筋の士宮・将校は育たない。

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